ふたりの漫画の人
恩人。

そう呼ぶと怒られそうだ。
そういう人。
仕事でこれほど怖かった人はいない。

まだ、30前。
やっと一人で仕事をまかされるようになり、
いっぱしに鼻っ柱も高くなった頃に、
クライアントの須貝さんに巡り会い、
仕事のダメ出しを痛いほどくらった。

彼は、講談社の雑誌宣伝部のヤングマガジン担当で、
いっしょにデザイン案を編集長にプレゼンしていた。
編集長本人より彼のチェックのほうが厳しかった。
その頃の僕は、広告を自分の作品だと考えているふしがあった。
それを見透かされ「ポスターは看板だからね。」
そういわれるたび苛立ちを隠せなかった。

デザイナーとしての意地があるので、
食い下がって仕事をしているうち
お任せしますからおもしろいの作ってと
笑顔で言っていただけるようになった。
その後は、自分にとっても自信作の連続だった。
1年がたち、新しい職場にうつるきっかけで
この仕事とも縁が切れた。

その、たしか4・5年後かな、
ぼくも2〜3社の会社を渡り歩き、
次どうしようかと考えているとき、
須貝さんから声をかけていただいた。
フリーになるなら、
ヤンマガの仕事やってほしいんだけど、どう?
喜んでお受けした。
これがフリーになるきっかけだった。

仕事での厳しいダメだしも、
自信を持たせてくれたのも、
フリーになるきっかけをくれたのもすべて彼だった。
だっていい仕事してもらわないと
困るじゃな〜いって、言われそう(笑)

ある時の暮れに1枚のはがきが届いた。
須貝さんが、亡くなったという知らせだった。
あまりに突然。
もっと、会いにいけばよかった。

白いシャツ、ブルージーンズ、白髪が須貝さん。
ヤングマガジンの広告が掲載された看板を見に行ったときの写真。
Be-Bopとゴリラーマンだ!

心よりご冥福を願うとともに、
もっと、もっといい仕事しますからね、
そう言いたい。
ぼくにとって父親のような存在だったから。

須貝さん、感謝します。ありがとうございました!

この写真、いい笑顔してるな。あんなに怖かったのに。
編集長、田宮さん。 
ヤングマガジンの名物編集長で、80年代「BE-BOP-HIGHSCHOOL」「AKIRA」などビッグヒットを生み出し、ヤンマガの売り上げをぐんぐん伸ばしていた田宮さん。ヤンマガの中吊り広告の仕事をやらないかと指名してくれたのも田宮さんだった。当時28歳の若造の仕事を褒めてくれ、フリーになるきっかけをくれた。飄々とした方で、「あ〜、おもしろくていいんじゃない」と、細かい注文はいっさいなし。でも、きっと、よく見てくださっていたんだろうと思う。その後、編集長が若い関さんに変わり、その関さんが書いた「担当の夜」という、漫画編集者の苦悩を描いた本の中に、田宮さんの名前を偶然みつけたのだ。故・田宮一さんに、と。
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